ランペルール シナリオ5(前編)
◎シナリオ5リプレイ(前編)

細かな出し方は省略しますが、制海権がないのにイスタンブールに単身乗りこんで帰れなくなった皇帝ナポレオンは帰路につくこともかなわず、時間切れで町に逃げ帰りました。

あと、あまりに画像が増えすぎたため戦場のキャプチャは全く入れていません。あしからず。
1815/03 専守防衛
都市数6→4(リール・サンマロ減)
国政ターン:トルコと同盟、軍事費(0→400)

運悪くトルコに先にターンが回っていくと宣戦布告されることがある。そうなるとマルセイユを狙う敵がひとつ増えるという結果に。

とりあえず親族を各都市に1名予備役から派遣して指揮をとれるようにしておく。
ジェロームはパリから移動させればよい。

1815年3月、リール以外の都市で徴兵。
リールはウェリントン率いるイギリス軍に攻め落とされた。それも、ターンが回ってくる前に。

4月、サンマロのみ全軍をボルドーに移動。その他は軍隊の再編。
ダブリンからサンマロにイギリス軍が侵攻してきて明け渡す。とりあえず残り4カ国で当面をしのぐ。


これだけ兵がいればボルドーは守りきれる。サンマロを捨てなくても守りきれるのだがシビアなのでノーリセットの今回はパス。

バイエルン軍がリヨンを攻めてくるが守り切り、5月末のターンでの状況は以下の通り。



金がなくては出撃もできない。もっとも、この訓練度や士気では到底勝ち目のない行軍だが。
ボルドーから1部隊を移動させリヨンの守備に充てる。


1815/06 軍備に専念
都市数4
国政ターン:バイエルンと同盟(金1)、スペインと同盟(失敗)

パリ:将来的に人数競争になるのは目に見えているので亡命しそうなフーシェ、カルノーを予備軍人にする。
リヨン:国税納入&補給都市にする。
ボルドー&マルセイユ:造船したいのは山々だが金がないので仕方なく軍人の相互移動。

バイエルンと同盟はこちらから持ちかけなくてもよいのかもしれないが、結べないと死亡してしまうので致し方なし。
スペインとは将来の講和をにらんで敵対心を下げておく。同盟など失敗するに決まっているが。
ボルドーは兵士数を置いておけば攻められることはないので、使える軍人をマルセイユに移動、使えない軍人をボルドーに移動。
フーシェは外交後、お祓い箱に。カルノーはこのシナリオでは亡命しやすいので注意が必要(恩賞を与えている暇がない)。



当面の戦略はバイエルンを絶対滅ぼさずに盾にしながらオーストリアとイギリスと戦う戦略である。しかし26リールの状態はこう。



無理にもほどがありすぎるというもの。

しばらくは軍の編成に注力。少ない砲兵をすべてリヨンに集め、ナポレオンの1部隊を作らなければいけない。
それに加え練度の低い兵に鍛えを入れていかなければならない。
ストライキが起ころうが無視である。


1815/09 包囲網突破へ反転攻勢へ
都市数4→5(ミラノ増)
国政ターン:貿易×2

パリ&リヨン:軍人の相互移動
マルセイユ:造船(4)
ボルドー:補給都市に

軍人は通常ターンで入れ替えたいのは山々なのだが、移動した瞬間に攻められると敗北確定なので国政ターンでの移動で我慢するしかない。ナポレオンとダヴーをリヨンに移動させ、他の使えない軍人をパリに移動させる。ウェリントンが攻めてくれば敗北確定だが、10万人近くいれば攻めてはこない。
貿易はナポリと。もし衛星国になれば便利なことと、経験値のためである。1回成功で経験値は3上昇、敵対心は5低下する。

9月の編成を経て領内はこうなる。




パリでストライキが起こるが無視。11月にはオーストリア領ミラノにナポレオン砲兵200、ダヴー歩兵200が攻め込んで勝利。極力兵を温存して砲兵による射撃で減らすことを心がける。
11月にしたのは冬になると砲兵の使い勝手が悪くなるのと、講和のためである。



モントロンはマルセイユから送った部隊。情勢の変化によっては一気に北に転戦することも念頭に置いている。


1815/12 オーストリアと一時休戦
都市数5
国政ターン:ナポリと貿易(食糧2を金1)、軍事費400に

ミラノ・マルセイユを国税納入&補給都市に。パリに国庫から物資&食糧を輸送。




オーストリア戦のメリットは、勝利したときの反仏の低下が著しいため明らかに「停戦を送ってくるな」というのが分かるところ。
こちらから使者を送るということをしなくて済む。
本来なら停戦の講和は1年だが必ず3月に期限は切れるので、12月の講和なら3月には期限切れでちょうどよい。
なにしろ3月に貿易停止、6月に宣戦布告が来るから半年は猶予がある。
ちなみに講和すると相手国の対仏は30上昇する。
軍事費を200から400に変えても大砲生産は4→7になるだけなのだが、いまはこの差が大きい。



1816年2月、なんだかイタリア半島が妙なことになっている。イギリス侵攻プランは諦め兵の鍛練に徹した。
1816/03 再度のオーストリア戦
都市数5→7(ヴェネツィア、ウィーン増)
国政ターン:オーストリアに宣戦布告、ナポリと貿易



予備軍人はウディノとサンシールのみ。リセットしたくなるなこれは。。
バイエルン、オーストリアから相次いで貿易停止。これは予想通り。
しかしイタリア半島の情勢変化は予想外で、思いきってオーストリアに宣戦布告をすることに。
軍人の忠誠度低下がひどいため、あまりおすすめできない。予備軍人のフーシェは0に、カルノーは一桁に、パリを防衛しているスルトは20台にまで落ち込んだ。
他の国政コマンドは造船など。物資不足は正直痛いが、見て見ぬふりをしている。

1816年3月、ミラノからナポレオン、ダヴーの2部隊がヴェネツィアに侵攻して勝利する。
そして運良くヴェネツィアで徴兵が可能に。ミラノの徴兵もまだなのでこれはおいしい。
何しろ軍勢不足であり、とにかく兵士がほしい状況。

4月にはウィーンからヴェネツィアに大量のオーストリア軍が攻めてくるが都市の手前で砲撃を浴びせ、快勝する。
返す刀で5月にはヴェネツィアにケレルマンの兵14を残しウィーンに侵攻、勝利する。



トルコ、ナポリは盟友で心配は無用であるがスペインとイギリスにはそんなことは通用しない。
バルセロナとジブラルタルのターンがすでに終わっていることを願うのみである。
国政ターンになればミラノで徴兵したルイ部隊が移動できるから。
そして運良く、ヴェネツィアは攻められなかった。
もっともこれだけ手薄だとCPU部隊はせいぜい1人で200の軍勢なので、取り返すことは容易である。
それどころか上陸作戦に失敗するときさえあり、笑ってしまう。

1816/06 バイエルンを叩く
都市数7→8(ミュンヘン増)
国政ターン:ナポリと貿易×2



オーストリアのみ戦意喪失状態。
そのオーストリアから停戦がきたのはよいのだが、バイエルンから宣戦布告。
今度はバイエルン叩きになるのか。
とはいえ24ミュンヘンの部隊は400で25フランクフルトは500で、ナポレオンの敵ではない。

6月にさっそくウィーンからミュンヘンに出撃、陥落させる。でもいろいろと考えれば8月のほうが良かったかもしれない。
陥落させたはよいが、早速フランクフルトからちょっかいが来たから。
2・5・8・11月初頭には反仏の自然上昇もあるので、講和狙いならそれらの月に攻めるのがよく、逆に一気に攻めるときは国政ターン終了直後に攻めるのが良いだろう。
ともかくミュンヘンは陥落させ防衛したのでリヨンが安全都市に。忠誠度0のフーシェ先生が活躍する場所ができた。

一方、内乱の起こったパリはかなりの惨事に。人口が減ったので良いことにしておく。初期の9999はいくらなんでも多すぎである。



地図にはないが22ウィーンの守備は兵14、32ミラノの守備は兵0。結構な綱渡りというのか、効率的すぎる用兵というのか。
1816年8月の領内軍事はこういう状況である。



25フランクフルトは陥落させようと思えばいつでもできるのだが、重要な壁である。
まだプロイセンと国境を接する時期ではない。
フランクフルトは北から押し寄せる大軍に関しては砲兵が活躍できず、たとえナポレオン本人であっても守りきれない。
1816/09 英軍駆逐作戦
都市数8→9(サンマロ増)
国政ターン:軍事費800に、ナポリと貿易



バイエルンと停戦。脅威でなくなったので完全に都合のよい壁である。
オーストリアとも講和状態であり、狙うはイギリスになった模様である。
ミュンヘンとパリの主要軍人を入れ替えておく。
その他にしたことは造船、ヴェネツィアの国税都市化など。

しかし物資の困窮が深刻である。パリなど二度目の内乱も起こりかねない状況。
人口だけが減るのなら歓迎なのだが、都市パラメータが下がるのが痛い。

9月、パリからナポレオンとモンセイのセットとおまけのセバスティアニがサンマロに親征して陥落させる。
しかし戦線の伸びたこの瞬間が怖い。なにしろ敵はウェリントン率いる精鋭である。本当はサンマロが攻められるよりもダヴー&スルトが守備しているパリを攻められるのが怖い。砲兵もおらず、守りきれる自信がない。
忠誠33のスルトなどを筆頭にどの部隊も混乱したら即撤退しそうだ。




ともかく旧領土の回復にはあとは26リールを残すのみ。もっとも、それが一番の難題なのだが。。。

ここで痛恨の出来事が。ウェリントンをあまりに恐れたためボルドーからサンマロに300ほど移動したのだが、スペインがボルドーを攻めてきたのである。
なんとか守り切れたが痛恨の失態。こうなることは分かっていたというのに・・・
本気でリセットしたくなった。



27サンマロ、28パリ、29ボルドーでなんとかやりくりしてこの状態。きつい。
軍備の割に戦線を広げすぎなのかもしれない。
1816/12 大陸からの英軍一掃
都市数9→10(リール増)
国政ターン:ピクトン(英)の登用×2

久し振りに全体マップ。もっとも、フランスが絡まない戦争などほとんどない。
自慢にならないが文字通り欧州の主役である。他国間の戦争といえば、ローマにオーストリアが侵攻したのみである。



画像の通りスペインを撃退したおかげで停戦できた。これでボルドーの守備をもう少し弱くしてもイギリスが来なければ問題ない。
体感的には400あれば来ない。とはいえ、現時点ではその400にすら満たないわけであり頭を痛くさせる。

嬉しいことにサンマロでの戦争で捕虜にしたピクトンを登用。2回国政コマンドを使おうが、このシナリオではとくに軍人の確保が最優先課題である。
忠誠度などジョゼフかルイにあげさせればよいのだから。



新しい砲兵候補である。ピクトンより能力の高い砲兵持ちにダヴーがいるが、できれば歩兵で使いたいから。



ついでに国交一覧。物資の困窮は相変わらずだがイギリスと講和など結べるはずもない。少しずつ他国から貿易で入手するしかあるまい。
幸い資金には余裕ができ始めており、リュシアンの内政投資の旅もし始めるのによい頃合だろう。

12月の国政ターンでパリから何人か呼び寄せ、都市ターンで26リールへ侵攻。
ウェリントン率いる精鋭をぶち破り、当初の領土を回復する。




なにしろ軍人の少なさが泣き所。
9アムステルダムを攻略したいのは山々だが、そうすれば11ベルリンが待ってましたと大軍を寄こすのは目に見えている。
先にプロイセンと講和してからアムステルダムを陥落させ、先にロシアと講和してからプロイセンを叩く。
遠交近攻。外交の基本である。本来ならば。

しかし敢えて1月にアムステルダムに侵攻。
国政ターンで守備がガラガラであることを見越していたのと、アムステルダムでの防衛戦に自信があったからである。
ナポレオンの砲兵140とダヴーの歩兵200で攻め込むと、イギリスは戦うことなくアムステルダムから撤退。
船が1隻も手に入らなかったのは痛いが(戦わずに撤退されると手に入らない)、それは仕方のないこと。
ついにイギリス軍を大陸から追いやることができた。苦節1年、辛かった戦いであった。

しかし予想通りにプロイセンがアムステルダムに攻めてきたのはよいが、2か月連続で大挙して押し寄せてきたのにはまいった。
あえなく2度目は撤退。イギリスを追い払っただけで良しとしなければいけないか。

あと残念なことは、衛星国化を期待していたナポリが12月にオーストリアに滅亡させられたこと。
あと1か月なのに(衛星国イベントは毎年1月限定)・・・・残念無念。
1817/03 同盟相手を誤る
都市数10
国政ターン:スペインと同盟、オーストリアと同盟




スペインは戦うのが面倒な国かつ当面は戦う意図がないので同盟は当然の選択肢だが、オーストリアは当面の敵ではないと思い同盟したがこの選択がどうだったか。
兵力を集中できるというメリットがある反面、プラハとイタリア半島を押さえられず苦労する面もあった。
とくにナポリが支配下ではないので地中海の制海権をなかなかとれず、マルセイユの守備を手薄にできない。
たった1人を動かせるだけかもしれないが、人材不足なのでその1人が重要なのである。



ともかく軍備を増強する。5月にはこうなる。
しかし最低の失敗も犯してしまい、恩賞をやったピクトンを前線に移動させようとしたところフーシェ先生がすかさずイギリスに亡命。
油断も隙もないとはこのこと。なんてこったい。。
1817/06 慢性人材不足
都市数10
国政ターン:フリードリヒ(プ)の登用×2(どちらも失敗)

捕虜登用に2ターンつぎ込んで失敗し、捕虜交換で持っていかれる。
なんてこと。。。

ほぼ軍備のみであるが、余裕ができているので食糧や物資の供給も行っている。
1817/09 バイエルンの滅亡
都市数10→11(フランクフルト増)
国政ターン:プロイセンと講和、軍事費改定(1200)

前回失敗したのでプロイセンと講和してからバイエルンを叩く戦略。
バイエルンからは宣戦が来たのでちょうどよい。9月に制圧する。
11月には国内はこういう状態。



えっ、内政?ほとんど全くしてないので載せても無駄かと思いキャプチャをとってません。。。
1817/12 ひたすら軍事増強
都市数11
国政ターン:貿易×2(食糧2を金1で売る)



現在の同盟関係はトルコ、プロイセン(残り1年)、スペイン、オーストリア(残り3年)。
同盟国だらけで軍を向ける先がない。
オーストリアとの同盟を心底悔いた瞬間である。
イギリスを攻めたいのは山々なのだが、さすがに船舶が少なすぎる。
制海権がなければ艦隊移動すらできない。
もっとも、ウィーンなどは手薄もいいところで、守り切れていない公算も大きいのだが。

やることがなくなり、貿易でナポレオンの経験値稼ぎ。
都市ターンもほとんどを訓練と演説に使う。もっとも、これはシナリオ開始直後から全く変わらない。
1818/03 地中海を制圧
都市数11
国政ターン:貿易×2(食糧2を金1で売る)

プロイセンとオスマントルコから貿易停止。
待ってましたと言いたいところ。
次回の国政ターンまでに徴兵などの編成を済ませて準備万端で待ち受けておきたい。



地中海の制海権を得た。これでマルセイユの守備をひとりに任せても大丈夫である。
1818/06 対プロイセン戦争
都市数11→13(アムステルダム、ベルリン増)
国政ターン:貿易×2(食糧2を金1で売る)

プロイセンとオスマントルコが宣戦布告。
もっとも、トルコ遠征軍を組もうにも軍人が2戦級なことにいまさら気づく。
砲兵がないとやはりつらいものがある。

都市ターン、ナポレオンの出番である。
6月に9アムステルダム、7月に11ベルリンを陥落させる。
プロイセンは涙目。当たり前か。
13クラウゼンブルクから11ベルリンに3部隊600、10リューベックから残兵200の9アムステルダム攻略軍が来るが撃退。
一息ついた格好である。


1818/09 おびき寄せられるロシア
都市数13
国政ターン:貿易×2(食糧2を金1で売る)




プロイセンを壁にしロシアの脅威を防ぐ。
次にやることはロシアと講和してプロイセンを撃破すること。

そのためには10リューベックを陥落させるのが好都合。
バルト海に面している14ぺテルスブルクからリューベックにロシア軍が出てくることは火を見るより明らかだからである。

かくして10リューベックを陥落させた後、ロシア軍の攻勢に敢えて抵抗することなく撤退。
ロシアを刺激していいことないように映るが、完全に予定通りである。



1818/12 二方面展開
都市数13→15(リューベック、サラエボ増)
国政ターン:貿易×2(食糧2を金1で売る)

先にも述べたが2・5・8・11月の初頭には対仏が自然上昇する。
講和狙いならばそれらの月に遠征するのが良い。

さて、冬将軍の到来である。バルト海は冬は凍結するため航行不能となる。
この時期に10リューベックを奪回すれば、ロシアの優秀な軍人が散り散りになるということ。そして、かなり手痛い打撃を受けてもロシアの反撃は受けないということである。
(デンマークとスウェーデンの存在は考えないことにしておく)
名づけてバルト海ホイホイ作戦。
狙い通り2月に10リューベックを奪回する。捕虜にこそできなかったが、ロシア軍人4名が下野。
このシナリオでこれは痛いはずである。自分の国であれば泣きそうである。
ついでリュシアン率いる軍勢が35サラエボを陥落させ、ヴィザーを捕虜にした。

2方面戦争と言えば聞こえはいいがリュシアンじゃなぁ。。。
それはともかく、1819年2月の軍事は以下の通り。




1819/03 二面和解、プロイセン戦へ
都市数15→17(ケーニヒスベルク、ワルシャワ増)
国政ターン:プロイセンと貿易停止、プロイセンに宣戦布告

まさかの予備役登用0人に気絶寸前。ゼロってあんたゼロって。驚いたのなんの。





それはともかく、ロシアとオスマントルコとは停戦。ついでにデンマークとも停戦。
画像がだぶるのは無駄なのでトルコのほうは使者のみで、デンマークは省略。
ほぼ国庫の金の半額を停戦交渉に使っていることが分かる。
もっともこのゲームでは賠償金額が判断材料になることは少ない。
停戦交渉の成功率など、金1でも金10000でも有意差はないだろう。
戦勝後など、相手が心理的に参っていればどんな条件でも講和でき、逆に敗戦後などは金をいくら積んだところで講和などかなわない。
CPUには領土>軍人≫金という関係がある。
人間率いるフランスも講和を蹴ると忠誠度激減というペナルティがある以上、よほどの状態でなければ講和は受けるものだ。
金500だから講和を蹴って金10000だから講和を受けるなどということはありえない。

結論:賠償金は飾りである。フランスにとって賠償金2以上の講和条件など、ほぼ無駄であり提案に値しない。

現在の外交関係は以下のとおりである。

 オーストリア :不戦同盟(残1年)
 スペイン   :不戦同盟(残1年)
 ロシア    :一時停戦(残1年)
 デンマーク  :一時停戦(残1年)
 オスマントルコ:一時停戦(残1年)
 プロイセン  :友好(一時停戦の期限切れ)

ウィーン会議直後ならともかく、ここまで外交できるようになっている。
砲兵もナポレオン、スルト、ピクトン、フリアンといくつかおり予備の大砲もある。
シナリオ1〜4をクリアできる人であれば、もう何の問題もないだろう。
よって以後は簡単なレポにとどめることにする。

さて、プロイセンの都市データを見ると両都市合わせて兵力が113しかいない。
一気に攻め滅ぼす好機である。
よってプロイセンと貿易停止。
しかしこれだけ兵力がいないとどんなに対仏が高くとも向こうからの宣戦布告は期待薄。
こちらから宣戦するしかないだろう。ついで宣戦布告を行った。


1819年3月、ベルリンからジョゼフ率いる軍勢200が13ケーニヒスベルクを攻める。
兵士が11しかいない都市に太刀打ちできるはずなく、撤退。
次ぐ4月にはナポレオンとダヴー率いる軍勢が12ワルシャワに侵攻、プロイセンは滅亡した。



政治A、補給Aになったナポレオン陛下。

ちなみに友好状態からでも宣戦布告はできるのですが、どういう違いがあるのかよく分からなかったりする。
国政ターンの命令はいつも余りがちなので、今回はご丁寧に貿易停止+宣戦布告の二段階にしましたけど。




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