ランペルール シナリオ5(全速前進編)
◎シナリオ5リプレイ(全速前進編)

前回は同盟戦略でおびえて失敗したので、極力全速前進をモットーに心がけました。
とは言えやはりある程度の講和は必要。全面包囲網の初期はもちろんのことながら、2年後ぐらいまでは講和を蹴れる状況にはない。
軍人の忠誠度低下がひどすぎるので。。。。


海馬社長、ご命令を。


1815/03 専守防衛again
都市数6→4(リール・サンマロ減)
初期のみ表にした。わかりやすいため。
ただ後期は作業ゲームと化しているので前回同様、途中からは書いていません。あしからず。

やってることも前回と同様である。リールのターンが回ってくる前にウェリントンが襲撃してくるのも相変わらず。
ただ、リヨンの国政ターンだけは違い、いきなり国税&補給都市にした。

前回との違いは、リヨンにバイエルンが襲ってこなかったこと。代わりにきたのはオーストリアである。
兵力のせいなのか、狙われやすい模様。
前回の反省を踏まえ、ボルドーの守備を徹底する。
マルセイユは兵400いれば十分であり、残りはリールに移動すればよい。
その他の最優先事項は、各地の少ない砲兵をリールに集結させること。
ナポレオンだって最初はパリ歩兵200の部隊を組めばよい。兵数が同じならあとで兵種を歩兵から砲兵に変えても訓練度も士気も変化しないから。

やったことは3月は全都市徴兵、4月は編成、5月は訓練または砲兵のリヨンへの移動である。

国政 オスマントルコと同盟
国政 軍事費400
都市 国政 3月 4月 5月
26リール 親族派遣 陥落 英領 英領
27サンマロ 親族派遣 徴兵 29へ移動/陥落 英領
28パリ 親族移動(30へ) 徴兵 編成 訓練
29ボルドー 親族派遣 徴兵 編成 訓練
30リヨン 国税&補給都市 徴兵 編成 訓練
31マルセイユ 親族派遣 徴兵 編成 30へ移動

1815/06 ひたすら訓練
都市数4
バイエルンとの講和にフーシェを起用し、やはり前回同様お払い箱。なにせフランスでは屈指の外交能力を誇り使いたいのは山々なのだが、忠誠度8では使い物にならないし恩賞を与えている暇もない。臆病なうえにナポレオンとの相性が最悪のためなにかあると忠誠度が激減するのも痛い。ついでにカルノーもやはりお払い箱に。
ボルドーだけイギリス&スペインとの兼ね合いで5月は訓練を優先したので国政ターンで移動。マルセイユは造船。早くもジブラルタル(イベリア)攻略を睨んでいる。


当面の戦略は前回と同じ。
バイエルンを絶対滅ぼさずに盾にしながらオーストリアとイギリスと戦う戦略である。しかし26リールの状態は(略)。

6〜8月のターンは4都市ともすべて訓練。士気は戦場で上げることができるが、訓練度は戦場で上げることができないからである。
鼓舞すれば士気は上昇するし、士気49以下の部隊は戦場で待機するだけでも士気が1上昇する。
そういうわけで今後、訓練は70前後ながら士気は0の部隊が戦場に出ていることがありますが、何一つ間違ってません。

国政 バイエルンと講和(金1・失敗・フーシェ)
国政 バイエルンと講和(金1・成功・フーシェ)
都市 国政 6月 7月 8月
28パリ 予備役2名 訓練 訓練 訓練
29ボルドー 軍人移動(フリアン、リヨンへ) 訓練 訓練 訓練
30リヨン 軍人移動(グールゴ、マルセイユへ) 訓練 訓練 訓練
31マルセイユ 造船(4) 訓練 訓練 訓練

1815/09 無理して2都市拡大
都市数4→6(ミラノ、ヴェネツィア増)
国政ターンははっきり言ってやることがない。貿易でナポレオンの経験値を上乗せするのみ。



オーストリアの和解癖には困ったもので、必ずやってくるのはよいのだが、領土拡大にあたっては障害にもなりうる。
今度は演説などせず10月にオーストリア領ミラノにナポレオン砲兵200、ダヴー歩兵200が攻め込む。敵に砲兵がいないのでさほど難敵ではない。
あっさり勝利。もちろん極力兵を温存して砲兵による射撃で減らすことを心がける。
しかも7日ほどナポレオン陛下の独演会(演説)。これがルイやジョゼフだったら士気も上がらないが、さすがに指揮能力Aは違う。
そして移動先で訓練をし、11月にヴェネツィアへ侵攻、勝利を収める。
援軍にも存分に打撃を与えておく。

国政 ナポリと貿易(金1食糧3・ナポレオン)
国政 ナポリと貿易(金1食糧3・ナポレオン)
都市 国政 9月 10月 11月
28パリ 軍人移動(ナポレオン・ダヴー、30リヨンへ) 編成 軍人移動(ルイ、ジェローム、リヨンへ) 訓練
29ボルドー 造船(4) 演説 演説 訓練
30リヨン 軍人移動(ジョゼフ他1名、パリへ) 編成 32ミラノ侵攻 軍人移動(ルイ、フリアン、32ミラノへ)
31マルセイユ 国税&補給都市 編成 訓練 訓練
32ミラノ 墺領 墺領 訓練 34ヴェネツィア侵攻

1815/12 やっぱりオーストリアと一時休戦
都市数6



メッテルニヒが予定通りの来仏。和解を蹴るなど選択肢にはない。
和解金などすずめの涙だが、それでも現在は国庫の困窮ぶりが深刻である。
パリの物資の足りなさぶりは異常である。分配してもストライキが起こる始末。

今度はイタリア半島が静かである。二度オーストリアがナポリに侵攻したがミュラが撃退。イギリスは上陸作戦に失敗していた。
たまにあることなのだがいまいち謎である。

そして何よりも痛かったのは軍事費増強をしたいタイミングを惜しんで捕虜登用を試みたのに、シュワルテンブルクに振られたこと。
捕虜交換を要求されなかっただけマシというものか。

国政 オーストリアから停戦(受諾)
国政 捕虜登用(シュワルテンブルク、失敗)
国政 捕虜登用(シュワルテンブルク、失敗)
都市 国政 12月 1月 2月
28パリ 国庫(物資輸送) 分配(物資) 軍人移動(モンセイ、ボルドーへ) 訓練
29ボルドー 補給都市 軍人移動(デュポン、マルセイユへ) 演説 演説
30リヨン 軍人派遣(セリュリエ&モルティエ) 恩賞 工業投資(金740、18→21) 恩賞
31マルセイユ 造船(4) 編成 編成 軍人移動(32ミラノへ)
32ミラノ 国税&補給都市 訓練 軍人移動(34ヴェネツィアへ) 国庫に物資納入
34ヴェネツィア 造船(6) 演説 演説 訓練

1816/03 慎重に軍事増強
都市数6



予備軍人はマクドナルドのみ。
バイエルンから貿易停止。これは予想通り。
しかしイタリア半島の情勢が前回と違ってフランス有利にならなかったため、オーストリアに宣戦布告することはできなかった。
前回はもうウィーンを占拠していたころである。進捗の遅さが気にかかるが、外部情勢ばかりはどうしようもない。

半年越しでシュワルテンブルクの登用に成功。3ターン投資に見合う活躍をしてもらわなければ困るのだが、3月からは徴兵最優先。恩賞が必要な派遣は6月以降に持越しである。

国政 捕虜登用(シュワルテンブルク、成功)
国政 軍事費改定(600)
国政 バイエルンから貿易停止
都市 国政 3月 4月 5月
28パリ 国庫(物資輸送) 徴兵 分配(物資) 編成
29ボルドー 造船(4) 徴兵 編成 訓練
30リヨン 軍人派遣(マクドナルド) 徴兵 恩賞 編成
31マルセイユ 造船(4) 徴兵 編成 訓練
32ミラノ 金品輸送(31マルセイユへ) 徴兵 編成 訓練
34ヴェネツィア 軍人移動(32ミラノへ) 徴兵 編成 訓練


バイエルン叩きの準備は整いつつある。
1816/06 バイエルンを叩く
都市数6→7(ミュンヘン増)
バイエルンから宣戦布告。
徴兵のしすぎで米が足りなくなった。貿易して調達する。
もっとも、その直後に貿易停止。ぎりぎり間に合ったというべきなのだろうか。

しかし都市命令が足りず、シュワルテンベルクを派遣できず。これは痛い。
国庫からの物資&食糧輸送もかなわない。仕方なく流通コマンドで対処。

ナポレオンを30リヨンに移動させ、バイエルン戦。
24ミュンヘンを占拠。
その後は25フランクフルトに侵攻することはせず、訓練に明け暮れる。

国政 バイエルンから宣戦布告
国政 貿易(食糧輸入)
国政 食糧流通
国政 オーストリアから貿易停止
都市 国政 6月 7月 8月
28パリ 国庫(物資輸送) 分配(物資) 訓練 訓練
29ボルドー 造船(4) 訓練 訓練 演説
30リヨン 軍人相互移動(ミラノ) 24へ遠征 軍人移動(24へ) 訓練
31マルセイユ 造船(4) 訓練 演説 訓練
32ミラノ 軍人相互移動(リヨン) 不明 不明 不明
34ヴェネツィア 造船(6) 訓練 演説 訓練


全都市直轄ではなくなっているので委任都市では何をしているのかわからない。
これ以上各都市の動向を書くことは無駄かもしれない。
1816/09 英軍駆逐作戦
都市数7→9(サンマロ、リール増)


バイエルンと講和するはずで向こうから使者がくるはずだったのだが、何かの間違いで来なかった。
イギリスを叩きたい状況なのでオーストリアの宣戦は避けたい。
かと言って前回の反省もある。同盟は避けたい。
そういうわけで友好条約を締結する。

27サンマロにいるのは1ダブリンからの部隊であり、今回は26リールにいるウェリントン部隊を先に叩くことにする。
9月、ナポレオン、ダブー、スルト、ネイらの活躍でウェリントン軍を粉砕する。
10月にはサンマロに侵攻、占領する。
残すはアムステルダムのみ。農業地の高い国であり、年明けにも攻略したいところ。

国政 オーストリアと友好条約
国政 ナポリと貿易

1816/12 英軍一掃
都市数9→10(アムステルダム増)
いまさらバイエルンから停戦。タイミングの遅れが良く分からないが英軍が蹴散らされて慌てたということなのだろうか。



イギリス戦で捕虜にしたオレンジの登用に一発成功。
もっとも、忠誠度は5なのだが。
アルテンも捕虜にしたがパラメータが低いので後まわし。

オーストリアの貿易停止がうっとうしい。プロイセンとの和解なしにオーストリアとは戦えないというのに。
英軍を撃滅したことでスペインとの和解に成功。これで29ボルドーの兵力を動かしやすくなった。

1月、ナポレオンとダヴー率いる軍勢400が9アムステルダムに侵攻、英軍は戦闘を避け撤退する。
大陸からの英軍を駆逐できたと感慨に浸る間もなく、やはり直後の2月に襲いかかるプロイセン。兵力差としては無理ゲーに近い。



ダヴーの橋梁爆破とナポレオン砲兵による打ちっぱなしで撃退。壊滅的被害を与える。

国政 バイエルンから停戦
国政 オーストリアから貿易停止
国政 捕虜登用(オレンジ・成功)
国政 スペインと和解(ナポレオン・金1・成功)

1817/03 一転、オーストリア戦へ
都市数10
予備軍人はサンシール、ウディノの2名。



プロイセンと和解でき、今度はオーストリア戦になるのは間違いない。
先にプロイセンを叩くのもありなのだが、ロシアとの講和なくプロイセンを叩くのは自殺行為である。
もっとも、和解前にベルリンまでを押さえるというのはあったかもしれない。
9アムステルダム迎撃戦で壊滅的被害を与え、残り兵力は140ほどしかなかったからね。

国政 プロイセンから停戦
国政 オーストリアから貿易停止
国政 捕虜登用(アルテン・失敗)
国政 捕虜登用(アルテン・成功)

1817/06 予期はずれ
都市数10
捕虜がいなくなったので、バイエルンは衛星国化を狙って同盟。
また難しいことなのだが、スペインと同盟を結ぶ。これって本当によいことなのかどうか。

ナポレオンを32ミラノへ移動させる。24ミュンヘンも固めいよいよ23プラハ攻略も整ったと思ったが、対仏100のオーストリアからの宣戦が来ない。。。
どういうことなの?

国政 バイエルンと不戦同盟(ナポレオン・成功)
国政 スペインと不戦同盟(ナポレオン・成功)

1817/09 イタリア半島へ
都市数10→13(フィレンツェ、ローマ、プラハ増)



オーストリアから待望の宣戦布告。
9月には32ミラノから33フィレンツェに侵攻、次いで10月には37ローマに侵攻する。
これでナポリの衛星国化も視野に入ったが、残念ながら同盟が今年末で切れてしまう。
1年に1国しか衛星国にできない(と思う)のでまあ良いか。

しかしプラハ侵攻軍のほうは11月になってから。陛下率いるイタリア遠征軍に比してなにせこの陣容である。



この軍で攻め落とすなど、よくやったというものだろうか。

国政 貿易
国政 貿易
国政 オーストリアから宣戦布告

1817/12 バイエルンを衛星国化
都市数13→14(フランクフルト増)




造船を繰り返したおかげで地中海の制海権を得る。
そしてオーストリアからは予想通りの停戦。
次いで年明けの1月にはバイエルンを衛星国化。



これでプロイセン戦も進めやすくなった。
パリが安全都市、リールもほぼ安全都市になりマクシミリアンも配下になる。
マクシミリアンはかなり使える部類なのでありがたい。

国政 バイエルンと貿易
国政 バイエルンと貿易
国政 オーストリアから停戦

1818/03 ナポリと不戦同盟
都市数14→16(ウィーン、ブダペスト増)


予備軍人にマルモン、マッセナらを起用。もっと早く来い!と言いたくなる。
ミュラが頭を下げて同盟の更新に来る。もちろん快諾。
オーストリアに貿易停止&宣戦布告をするつもりであったが、先にオーストリアから貿易停止が来る。
よって宣戦布告を送りつけるだけで済み、その次を睨んでオスマントルコと貿易を停止しておく。

3月、制海権をゲットしたことにより安全都市と化した34ヴェネツィアから22ウィーンにナポレオン陛下が侵攻、徴兵&編成を済ませた5月には21ブダペストに侵攻、占領する。
19クラウゼンブルクはロシアとの壁であり、まだ国境を接することは考えていない。
もっとも、いつまでもそんな悠長なことは言っていられないが。

国政 ナポリから不戦同盟
国政 オーストリアから貿易停止
国政 オスマントルコと貿易停止
国政 オーストリアに宣戦布告

1818/06 対トルコ&ロシア戦争
都市数16→20(サラエボ、ベオグラード、ブカレスト、アテネ増)


いつもながらオーストリアが折れるのは早い。受諾し、休む間もなく今度はオスマントルコに宣戦布告である。
戦争は最大の外交手段である。

6月、22ウィーンからルイ率いる軍勢がサラエボに侵攻、オスマントルコ軍は敵前逃亡する。
21ブダペストからはナポレオン陛下率いる軍勢が36ベオグラードに侵攻し、壊滅的被害を与えて占領する。

月が変わり7月、ロシア軍がブカレストからベオグラードに侵攻してくるが反撃し撃退。
バルクラーイを捕虜にする。

8月に入り、35サラエボからルイらの軍勢が40アテネに侵攻し占領、36ベオグラードからナポレオン陛下率いる軍勢が20ブカレストに侵攻し占領する。その20ブカレストに39イスタンブールの軍勢が押し寄せるがこれを撃退。
カバクチュオウルを捕虜にする。

国政 オーストリアから停戦
国政 オスマントルコに宣戦布告
国政 軍事費改定(1400)

1818/09 デンマーク&ロシア&オスマントルコと停戦、イベリア&プロイセン戦の準備へ
都市数20
相次いでデンマーク&オスマントルコから停戦。




バルクラーイを取り返される前に国政ターンが回ってきた。
当然バルクラーイの登用である。優先順位が違いすぎる。




その後は陛下をはじめヴェネツィアに集結させること、ルイ&フリアンらの別動隊を北上させ、プロイセン戦の準備をすることである。
しかしいろいろ考えた結果フリアンはナポレオン軍に合流させ、バルクライとマルモンを別働隊にする。
バルクラーイは早速23プラハに派遣し、ジョゼフに忠誠度上げをさせる。

ついでながら国政ターンでの各都市の状況。軍人の少なさが何よりの悩みの種である。
三国志みたいに在野武将を登用できるとか、もう少しなんとかならないものか。
タレイラン先生はいったいいつまでウィーンに引き籠っているのだろう。お留守番でいいから帰ってきてください!




ロシアからは予定通りの停戦。
ロシアは領土こそ優れていても皇帝はパーヴェルといいアレクサンドルといい、能力が低くて大変そうだ。



国政 デンマークから停戦
国政 オスマントルコから停戦
国政 バルクラーイを登用(失敗)
国政 バルクラーイを登用(成功)
国政 ロシアから停戦

1818/12 サンマロで自己焦土作戦
都市数20→23(ナポリ、ジブラルタル、リスボン増)


カバクチュオウルを捕虜交換で奪われる。
軍人が一人でも欲しいシチュエーションだというのに・・・

29ボルドーに無駄に兵力がたまっているので、自己焦土作戦の開始。
やはり27サンマロがターゲットになる。
国政ターンで27サンマロをガラ空きにする。隣の29ボルドーの兵力は1400を超えた。
もっとも、ボルドーであればたとえ兵士が3000いても養っていける。
最大の農業国の面目躍如というところだろうか。

さて12月。さっそく4ブリストルから27サンマロを襲撃しにくるイギリス軍。
船も80も持ってきて、成長しないとはこのことだろうか。
撤退し、あっさり同月のうちに取り戻す。
1月はマッセナの180を残して29ボルドーに移動するとやはり今度は3リバプールから27サンマロを攻めてくる。
想定外だったのはマッセナが400相手に軽々と防戦したこと。
おまえはそこで防衛を果たすぐらいならジェノバを守り切れと小一時間(ry

そのころ陛下はといえば、34ヴェネツィアから43ジブラルタルに地中海海戦を仕掛けていた。
船100:100のガチ合戦である。
被害も大きいが、全速前進がモットーである。
下がるわけにはいかない。



ジブラルタルを占領後の1月、ナポリが保護国化を申し出てくる。



同じ1月、陛下らは43ジブラルタルから42リスボンへと侵攻。



制海権はまだないが、大西洋攻略は視野に入ってきた。
もっともこのタイミングでスペイン攻めはありだったかもしれない。
同盟を結んでいるのでどうしようもなかったのだが、これもやはり失敗だろうか。

その他の出来事といえば、兵1400の行き場がなくなったオーストリアが18キエフ攻めを2度敢行し占領したが、あえなくロシアの反撃に遭い滅亡。
オーストリアの保護国化も狙っていたのだが、こればかりはどうしようもない。

国政 オスマントルコが捕虜交換
国政 ナポリと貿易
国政 ナポリと貿易
国政 プロイセンから貿易停止

1819/03 イギリス上陸
都市数23→29(ブリストル、ベルリン、ワルシャワ、ロンドン、リバプール、ダブリン増)


情勢。サンマロ市民に対してはいつも申し訳なく思う。対仏もこのとおりの上昇。

さて、大西洋を取り巻く情勢。




フランスの船は102、イギリスの船は159。
その差は57だが、地中海の制海権を持っていればそれぐらいは簡単に埋まる。
ジブラルタルの船89(上限、リスボンの船が11のため)をリスボンに移動させる。
当然制海権を持つイギリスに見つかり襲撃を受けるが、それでも一部は到着する。



これで制海権を得たので29ボルドーから海路でリスボンへ将兵を乗せて船15を移動、リスボンとサンマロは造船。
もうこれで大西洋の制海権も揺ぎ無い。

プロイセンからの宣戦を受け、二方面戦争が幕を開ける。
将兵(とくに砲兵)が充実すればなんとかやりくり可能である。
トルコ遠征部隊が北上を完了しており、バルクライの砲兵も整えてある。

3月にはナポレオンが4ブリストルに上陸、25フランクフルトのリュシュアン、バルクラーイらが11ベルリンを占領。
4月には4ブリストルから5ロンドンに遠征、11ベルリンから12ワルシャワに侵攻。29ボルドーからウジェーヌが27サンマロに移動。
5月になると3リバプールから4ブリストルにイギリス軍が攻め寄せてくるがCPUが撃退、返す刀で5ロンドンからナポレオンが3リバプールに攻め込む。27サンマロから1ダブリンにウジェーヌが攻め込み占領。




一気に6都市を占領する。多方面戦争も一息というところだろうか。

国政 プロイセンから宣戦布告
国政 オスマントルコと不戦同盟(3年)
国政 軍事費改定(2000)

1819/06 そうだ、クリスチャイナ、行こう。
都市数29→32(エジンバラ、クリスチャイナ、ストックホルム増)
プロイセンから停戦。主力で戦っているわけではなくジョゼフとリュシュアンに加えバルクラーイがいるのみだし、13ケーニヒスベルクの兵数は1000以上。
当然受諾しておく。




しかしイギリスとスペインだけは本当に戦勝しても対仏が下がらんのよね。
スペインはイベリア以外の都市を占領すれば下がるのだが、イベリアを占領すると対仏が激増するのである。
ゲリラといい人民蜂起といい、まさに史実に沿った内容である。

国政ターンは主要軍人の29ボルドーと3リバプールへの移動、予備役の派遣など。
6月のエジンバラ戦は本当にただの作業。
そのついでに9アムステルダムからネイと船を2エジンバラに送りこむ。
次に攻める場所がないと思ったが、スウェーデンは和解を送ってこなかったのだ。
7月はクリスチャイナに上陸。うぬぼれの塊であるベルナドッテとの戦いである。
陸戦よりよい場所に部隊展開できたのは好都合だった。




ついで、8月にはジェロームにお留守番をさせ、ナポレオンらは首都ストックホルムに雪崩れ込む。




まさに休む暇もない戦争。
リスボンを出るときに各部隊の兵数を200にして以降、一度も編成していない。
イギリス上陸時、クリスチャイナ上陸時にダメージを受けたのを直す暇さえない。
これだけ満身創痍になるのも当然というものか。
理想としては今度はデンマークを攻めたいのではあるが。。。

国政 プロイセンから停戦
国政 パーシーの登用(失敗)
国政 パーシーの登用(成功)

1819/09 編成
都市数32


攻略対象がデンマークとロシアしかない。
無駄にボルドーとジブラルタルに兵力がたまっていて、主力も北欧にいる。
制海権もなく、14ペテルスブルクはいつもどおりのカオス状態(兵力1900超)。
いきなりのロシア戦は無理である。

国政ターンはデンマークと貿易停止、プロイセンと貿易。そして大砲の配備、軍馬の購入費用などを国庫から送る。
金の流通ができればよいのに、と心底思うときがある。
損傷した兵力を回復させると同時に、なんとか軍人を一人でも捻出しようと必死である。
国政 トルコから食糧売却依頼
国政 プロイセンと貿易
国政 デンマークに貿易停止

1819/12 オスマントルコを吸収合併
都市数32→35(リューベック、コペンハーゲン、イスタンブール増)
ここで領内の様子を見てみよう。




ロンドンはやはりすごい。食糧供給さえ必要でなければ言うことはないのだが。
ジブラルタルはこんなに兵力が必要ではないので、ロシア戦に向けて36ベオグラードまで移動させる。
あとは12ワルシャワの砲兵バルクラーイを11ベルリンに移動させる。
デンマークがよりによって友好条約を送ってくる。



どうしたものかと悩んだが、結局受諾し、国政ターンを2回使って貿易停止&宣戦布告。
嫌がらせ外交というものだろうか。

トルコの対仏は24である。15未満ならば吸収合併できるはずであり、そのためにはデンマークを12月中に滅亡させなければならない。
もうやるしかない。7ストックホルムから8コペンハーゲンに侵攻。冬であり大変ではあったが、バルト海が凍っていたのがかえって幸いした。
移動距離が最短で済んだからね。
ついで11ベルリンからジョゼフ、バルクラーイらが10リューベックに侵攻、デンマークは滅亡する。



対仏は10以上あるが、15未満であればフランスに友好的な国であれば衛星国になってくれる・・・はず。



というわけで、トルコも終了。
戦闘の省略よりも軍人がひとりでも増えることが嬉しい。
プロイセンが着実に力を付け直している模様。次はプロイセン戦である。



国政 デンマークから友好条約(受諾)
国政 デンマークに貿易停止
国政 デンマークに宣戦布告

1820/03 プロイセン滅亡
都市数35→36(ケーニヒスベルク増)
予備軍人はマクドネル、セラノヴィッチ、ウェリントン。
ウェリントンのみ最前線に派遣し、残りの二人は地方の司令をしているマッセナ&ネイ(7ストックホルム)と交代させる。

プロイセンに貿易停止を送りつけ、ついで宣戦を送る。
グナイゼナウ、シャルンホルスト、クラウゼヴィッツ、ヨルクら優秀な軍人率いる部隊が兵数1600もあり調子に乗っているようにも見えるが、あっさりナポレオンやバルクラーイ、ダヴー、スルトらの軍勢で蹴散らし、3月に滅亡。
戦は兵数ではないのだよ、分かるかねクラウゼヴィッツ君?
おとなしく全員フランスの予備軍人として起用され給え。
うそです。お願いしますから街でヒッキーにならないでくれ!w

残りの2ヶ月は徴兵と編成である。いよいよロシア戦を控えている。



国政 プロイセンに貿易停止
国政 プロイセンに宣戦布告

1820/06 ロシア戦争へ
都市数36→41(クラウゼンブルク、キエフ、ミンスク、スモレンスク、モスクワ増)
ロシアから貿易停止が来た。ロシアに宣戦布告する。
国政ターンは1ターンあまったが、だからと言ってやることがない。

6月、13ケーニヒスベルクから15ミンスクへジョゼフ、バルクラーイ率いる軍勢600が侵攻し占領、12ワルシャワから18キエフにナポレオン、ダヴー率いる軍勢600が侵攻し占領、20ブカレストからルイ、スルト、マッセナ率いる軍勢1000が19クラウゼンベルクに侵攻し占領する。



7月は18キエフから16スモレンスクに侵攻し勝利を収めるが、15ミンスクから14ペテルスブルクに侵攻した軍勢が見たものは兵力2200の地獄絵図。
あの地形で2200はないわ・・・・
アレクサンドルはおばかなので混乱状態が長かったのだが、それでも都市部にたどりつくだけで半月かかる。
あえなく敗戦。

8月には予想通りコサックがミンスク以外の都市を襲撃し軍が被害を受けるがかまわずナポレオンはモスクワに侵攻、占領する。



出直し部隊のバルクラーイらはまたしてもペテルスブルクを陥落させることができなかった。
しかし残りは歩兵200、騎馬150、砲兵35と予備兵50にまで減少。
犠牲に見合うだけの成果はあったというべきだろうか。
1820/09 ロシア滅亡
都市数41→42(ペテルスブルク増)
ロシアから停戦がきても蹴るつもりであったが、こなかった。
2度の侵略失敗が響いているのだろうか。
スペインの対仏も上昇している。もっともこれはこちらにとって好都合。

しかし捕虜にしたラエフスキー他1名は捕虜交換で奪われる。
両軍のために捕虜交換を要求する、って言われても、全くフランス軍のためにはならないのだけど。。。

9月、ナポレオンとマクシミリアン率いる軍勢がペテルスブルクに侵攻、勝利を収める。



モスクワからだとあの地獄マップもまだ攻略しやすいだろうか。
あとはひたすらスペインに向けて移動である。
ロシア戦はヘマを踏んで時間がかかったと思っているのだが、バルト海が凍結する前に脱出できたのでまだ良いか。
1820/12 移動
都市数42


スペインから貿易停止。
国政ターンを含め、ひたすら移動である。
1821/03 欧州統一
都市数42→46(ラコルニャ、マドリード、サラコーザ、バルセロナ増)
ナポレオンは史実では1821年5月5日に没している。英領セントヘレナにおいてハドソンローに虐待され、一部では砒素による毒殺とも言われている。それでもここまでくれば、なんとか天寿より前に統一したい。そういう心境である。

スペインに先にターンが回り、宣戦布告。体感上、最後に残った1国が自ら宣戦布告してくるのはロシアとスペインだけである。
もちろんここまでくれば開戦に迷いなどない。移動も終わり準備万端である。

予備軍人にペサロ、サマセット、マーサーの三名を起用したのでそれぞれ29ボルドー、42リスボン、43ジブラルタルに派遣する。
あとは全軍、進撃あるのみ。

3月、43ジブラルタルから44マドリードにルイ、マルモン率いる軍勢が侵入し占領。29ボルドーから陛下率いる2000の軍勢が侵入、戦闘のすえ勝利を収める。



さらには42リスボンからウジェーヌ、バルクラーイ率いる軍勢が41ラコルニャに侵入し占領、そして4月、陛下が46バルセロナに侵攻、仏軍2000対西軍1600(ともに予備兵含む)の戦いはフランスの勝利で幕を閉じた。




2〜3年は早く統一できるかと思っていたが、3年を上回る短縮。
開始から考えれば5年2ヶ月である。
初期の厳しい包囲網をどう砕くのか、イギリスをいつオランダから追放するのか、そして軍人の確保をどうするかがこのシナリオの最大の難所。
まず、包囲網に関しては講和しやすいオーストリアを叩くのがよい。バイエルンも講和しやすいが、25フランクフルトが非常に守りづらい都市であり、仮に占領に成功したところでプロイセンの大軍を招くだけである。
イギリスに関しては本当はリールで防戦できればそれに越したことはない。
ナポレオンに砲兵200いなくても防戦可能である。
しかしどのみち3月には確実に攻めてくる。ターンの回ってくる順など運であり、自身など1度たりともリールのターンが回ってこなかった。
サンマロを放棄するかどうかは好み次第である。自身の場合はボルドーが最大の穀倉地帯(唯一の農業100)であり、隙を見せるとスペインが攻めてくることからサンマロの兵力はボルドーに集め、防戦に徹してしまう。

第二のイギリスの問題。
いきなり追放するのもありだとは思う。とはいえバイエルンと講和さえすれば32ミラノを攻め取ることで30リヨン、31マルセイユがほぼ安全都市になるので、兵力を北に向けやすくなる。
あまり対処を先送りにすると兵力が2000とかふざけた数字に膨れ上がるため、2〜3年を目処に追い払いたいところ。

人物の確保は本当に大変な問題。
のろのろプレイしていると自領内に空白国が生じかねない。
極力捕虜の登用を試みること。衛星国にすることで戦闘を省略しつつ、軍人1を増やすこと。
あとは運しだいだが、予備軍人によい軍人&数多い軍人が起用されることを願うしかない。
今回もメッテルニヒなどほしい軍人はいっぱいいたいのだが、気づけばロシアの予備軍人になっていた(o_ _)o
メッテルニヒの歩兵隊などどうでもよいのだが、あのロシアに優秀な砲兵隊が増えるってのはちょっと・・・



次回目標?
リセットを容認すれば1819年のうちに統一できそうな気もする。
オーストリアとかバイエルンとか、なぜか宣戦を送ってこない、なぜか停戦を送ってこないって状況で困ることもあったしね。
あとは予備軍人の関係。
ウェリントンは2回ともすぐに登用できたしバルクラーイは二度とも捕虜にできたのだが、プロイセンの軍人は全く活躍の場がなかった。
それでもフーシェやカルノー、バラス、マクドナルド、ウディノと言った亡命しやすい軍人も一度予備役回収して再配置することで役には立った。
同盟に関しては永遠の課題。
スペインとの3年同盟はどうだったのだろう。。。。
1819年内にクリアできれば、またUPしようと思っています。

P.S. なんとランペルールだけで28MBのページに。画像を全く使わなかった伊忍道の100倍である。
まあこれもまた良しか。
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